第4回哲学カフェ“こどもにとっての哲学経験”

参加していただいた方の感想
 まず始めに知識が充分でなかったマリについてサコ氏より生き生きとお話を伺えて有り難うございました。この様な機会をお創り下さいました主宰者に心より感謝申し上げます。
 伺った様々な内容から特に興味深かった点について
(一) マリでの教育に関して学校ではもっぱら言語(フランス語)を中心に哲学する思考を養ひ、歴史や地理を学ぶ一方家庭では専ら口承文化を基盤している点
(一) 世襲制による音楽文化には音楽の中で語られる伝承がある事
(一) 割礼時の儀式として町(慣れ親しんだ環境)を離れて若者が色々な事を覚えさせられる点
(一) 長老のいただきましょう≠待って始める食事作法
(一) (信頼関係のある部族同士では)どんな冗談も怒らずに受け入れるしきたり
等でした。
 哲学するとは、日常の疑問について考え自発的な問題提起や対話による他者について考え、共存する意味を考えるとするなら、釈迦による仏教も哲学である考え、仏教国ともいえる日本の将来に多いに期待を寄せたい所です。が、観光京都に於るコンビニの数と競う寺院の内的有り方にも考えを及ぼす必要がありそうです。
 始めに言葉ありき≠考える時心≠ヘ?
 本日はマリ共和国出身のサコさんの話、興味深く興奮しながら聴きました。アフリカ系の方の話を、これほど身近に聴くことができ、しかも、スライドを交えて、分かりやすい話だったのでとても満足です。
 わかりやすいとは言え、比較文化論として、教育から思想・生活・経済・政治等、深みのある内容で、とても勉強になりました。
 とくにマリで起こっているフランス的合理主義と民族的土俗的文化の相剋が、日本の近代化の問題と相似している点が興味深く感じられました。
 サコさんはイスラム教徒で、話の内容が普遍的教養に基礎づけられており、イスラム過激派の不幸な運動が、真のイスラムの姿ではなく、欧米先進国がもたらした世界的な格差や不正義の結果として現れていることを訴えられ、ていたのは、とても感銘を受け、誠実さと心の強さが感じられました。
 久しぶりに時間の経過を忘れた話を聴いて、10年若返りました。
 サコさん、ありがとうございました。
 サコさんのお話で、アフリカの現状について、はじめて具体的にいろいろ教えていただき、自分がいかにわかっていなかったか、多くのことに、気付かされました。
 特に、考えさせられたのは、学校でのフランス語教育、公用語としてのフランス語、多言語の部族による共存、分業関係、伝統的土着の文化、そしてイスラム教という、三重の文化が、共存することによって成立している社会や国家のありようでした。
 サコさんがおっしゃった、「国民国家」そのものが、現在、限界にきているのではないか、という観点から考えた時、このような共存のありかた、分権的なありかたを、グローバリズムや市場原理のいきすぎに対する、ブレーキの原理として生かしていくことはできないか、という刺激を与えられました。イスラム国やテロの問題は、イスラムの問題ではなく、テロに追い込まれる人々を作り出す、今の社会システムや競争原理の問題ではないかというサコさんの指摘も同じ意味で、共感しました。
 ポランニーが、分析した、交換のさまざまな形態の中で、その起源にある互酬性や贈与経済が、今も、マリには、生きていて、また、日本のアニミズム的なメンタリティの中にも、まだ、残っていると思います。
 「国民国家」の限界を超える方向は、もちろん、一つは、国連やEU的なもの、あるいは、柄谷行人が注目している「帝国」のような発想でしょうが、同時に、市場経済から、一定程度の自由をもちうる、地域の互酬性、地域通貨などの発想にあったものを、とりもどす方向も、不可欠だと思います。
 サコさんは、日本の「地方の再生」「里山資本主義」には、懐疑的なようでしたが、日本の若い人が、日本の地方や、アジアやアフリカの地域にでかけていって汗を流している姿には、近代化を求めるアフリカと近代化のいきすぎに苦しむ日本の間で、お互いに刺激をあたえあい、新しいものを生み出す連帯が生まれる希望をかすかに感じます。
 哲学カフェの議論にひきもどせば、「哲学」的対話の中にある西洋原理、合理的な近代原理の大切さと同時に、それと対立したり、場合によってはそれを補完しうる、より土俗的なもの、非合理なもの、宗教的なものを排除することなく、うけいれることのできる「対話」がどうしたら、可能になるかということも、考えなければと思います。時間のたつのを忘れる、刺激的な時間でした。ありがとうございました。

第4回 哲学カフェ “問答連”での様子です。ご覧ください。