第1回哲学カフェ“見える世界 見えない世界”

参加していただいた方の感想

二つのミニワークショップを交えながらお話しさせてもらいました。

一つは、『京阪天満橋』と言う立体コピーで作ったさわる絵です。もう20年近く前に描いたものですが、なぜかアイマスクをして、言葉で道案内をしながらさわってもらうと指先でおもしろい経験ができる絵です。

二つ目は、野崎さんに準備してもらった写真を見ながら、その雰囲気を言葉でぼくに伝えてもらうという鑑賞の試みでした。いつも見える人と見えない人が美術館に行って、絵を前にして言葉で鑑賞しているのを哲学カフェでやってみたというわけです。「見るトーク」と言うような呼び方で行なわれている場合もあるようです。

1枚目の写真は、沖縄の祭りでした。ぼくが苦手と感じているからか、うまく言葉のリズムに乗りきれませんでした。写されている風景を、写実的に説明しようとするあまり、ぼくの気持ちに飛び込んでくるような言葉を引き出せませんでした。

2枚目は、動物の頭と人間の手が数本写っている神秘的な写真でした。これは、いろんなことが想像できるタイプの映像のようで、言葉もいろんな角度から語られ、ぼくが割り込んでいく隙間もありました。いろんな風に解釈できたり、抽象的だったりするものは言葉が活発に飛び交って、ぼくの頭の中もどんどん活性化していくように思いました。

たぶんぼくが作っている作品においても、未完成な部分があったり、いろんな情報をパラレルにまとめきれない状態で表現していないとおもしろさが半減してしまうのだと感じています。そういうことを考えながら、最近制作している表面を布で覆った作品を最後にさわってもらいました。

タイトルは、『さわってはいけないもの』です。どうでしょう。まだまだかな?

「家にいる時は、不自由?というか障害を感じないけど外に出ると感じる…」というのは、たぶんいろんな立場の人も(女性であるとか)感じる事で、それはきっと世の中が多数派の考えや見方ですんでいるからだろうな、と思います。ずっと美術に関わってきましたが、見えない世界から表現した芸術にふれることができて、今日は大変よかったなと思います。光島さんからみた世界がポピュラーになっていくと、より豊かな世の中になるような…。
光島さんが作られた『京阪天満橋』の絵(?)はおもしろかったです。触りながら、空間をイメージすることで少し光島さんが感じられている空間の姿と、逆にその世界を二次元化することによって統合しようとする、ある種の「視覚の世界」を感じることができました。私たち晴眼者の視覚の世界と、光島さんが生きられている立体&触覚の世界とさらにそれを補って「視覚化」(統合「みれたす」)しようとする世界の重なりとズレに、改めて関心をひかれました。
去年高井さんから「聴こえる/聴こえない」がグラーデーション的であることを教えてもらいました。こんどは「見える/見えない」でした。二枚の写真を光島さんに「言葉で伝える」ワークショップをしました。普段は見過ごしてしまっているだろう人物の細かい表情やこころのありようまでも「見えた」ような気がしました。見える人&見えない人のコラボレーションでした。哲学の「対話」がここにあるように感じました。
今日は貴重なお話しをありがとうございます。 自分は今、障がいの有無に関わらず行ける塾をやりたいと思っています。そんな中で自分以外の障がいについて学びたいと思っているところに、光島さんのお話しを聞くことができ、勉強になりました。失礼ながら、視覚障がい者とアートの組み合わせが意外であり、面白かったです。あと、教師を諦めて、鍼灸師の道を選ばれた経緯を伺いたいと思いました。
体の特徴や取り巻く環境の違い、その人を作ってきた過去ももちろん違う者達が一つの投げられたテーマを元に目に見えるもの指で感じるものを描写すると同時に更にその奥を見つめ自分を掘り下げて 相手に伝わるように言葉で紡ぐ時間であったように思う。自分の存在をボールとして投げてくださった光島さん、生きた問答をありがとうございました。また共に時間を過ごした仲間たちの様々な何気ない発言や気付きに私 自身の中にある様々なことと重ね合わせ思考させてくれる機会となりました。家で猫と寝て過ごすのも悪くはないですがこういう時間も大切だな〜としみじみ思う次第です。みなさん、ありがとさんです!またお会いしましょ〜♪ 
光島さんが取り出したA4大の二つのパネルには、ただ布が貼り付けてあるだけ。光島さんは「この作品の題名は『触ってはいけないもの』です。みなさん触ってみてください」といわれました。触ってはいけないものに触って見る?ちょっと驚き。貼ってある布の上から触ってみると、布の下になんだか硬いものが。でもいくら触ってみてもその正体は不明。「ヒントは触ってはいけないですよ」と。「子どものころよく親に**は危ないから障ってはいけないと注意されたことがモチーフです」。なるほどと感心。おもしろい経験でした。
私は、触ることを日ごろ意識しない生活をしています。ところが光島さんの手には特別な何かがあるのではと思いう出来事に出会いました。生後一年に満たない赤ちゃんが哲学カフェに参加?していましたが、さすがに二時間も大人に付き合うのは無理。終わりの時間が近づいてぐずりだしました。お母さんが帰り支度をして「少しお先に」といわれたところで、光島さんが「ちょっと触らせてくれませんか」と言われました。そして、ぐずる赤ちゃんのかわいい頭に手をのせます。するとぐずっていた赤ちゃんが、おとなしくなり光島さんの手をうけいれました。赤ちゃんはきっと泣くのだろうと思っていた私の予想は見事はずれました。見るだけなく、触ることがコミュニケーションであることを実感しました。私が触れば泣かれたかも(笑)。
まず斯様な魅力的な方々と出遭い大切なお話の数々を共有できる素敵な場をくださったこと本当にありがとうございました。日頃、社会の求めるスピードにとり残されてゆっくり考えることも難しいうえに、何がどう変化していくのか理解することも容易でないこの世の中で、身近にこのように立ち止まって皆で考えることのできる場があるというのは、この上なく重要なことであると思います!光島さんとの交歓のセッション、その温かくユーモラスな人柄に触れられてとても嬉しく、とても楽しく参加させていただきました。何をもって「健常」とするのか。私たちが「あたり前」に知覚していることがどれだけ「あたり前」なのか?普段「見て」いる世界がゆさぶられました。写真をともに見るプロセスがとりわけ面白かったです。「見る」ということを光島さんに伝えているようでいて実は見える人たちの「見る」という行為がどれだけ不確かなものなのか、悟して下さっているようにも感じました。あと、思った以上に全盲であっても同じ世界を共有していることの実感を確かめあえるのだと学ばせていただきました。素敵な時間を本当にありがとうございました。次回も楽しみにいたしております。

第1回 哲学カフェ “問答連”での様子です。

左が光島さんの作品“京阪 天満橋”とアイマスク。右は作品に触れて鑑賞する参加者。赤ちゃんも参加?